傍観は、いじめの踏み絵。 やがて深みにはまっていきます

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いじめが起きると

「いじめられた子を休ませろ」

「転校させればいい」「もっと強くなれば」

といった言葉が出てきます。

こんな風に被害者を問題にするのはおかしなことです。

被害者は「加害者によって作られた」者、

「たまたまターゲットにされた」だけなのですから。

ところが加害者を罰しようとしても

「加害者にも人権」

「14才以下」

被害者の人権は守られていないのに、

加害者擁護ばかりが声高に叫ばれ、

加害者は開き直っていきます。

(社会が味方。世の中ちょろい)

だから、被害者が転校しても、

加害者は次のターゲットを見つけていじめをくり返します。

(次はおまえだ)

加害者はいじめること自体を楽しんでいるため、

なかなかやめません。

では、どうすれば良いでしょう?

実は、いじめで重要なのは、

いじめを見ている傍観者です。

「傍観者」とは、見て見ぬフリをしたり、

おもしろがったり、

「いじめの現場にいる人たち」です。

手を出していないからって

無関係ではありません。

いじめという人を傷つける行為を

そのまま黙認していた。

つまり、消極的に手を貸したことになるのです。

しかも一度黙認すると、

それは加害側の仲間だという一種の踏み絵。

だんだんと直接いじめにも加わるようになります。

見て見ぬフリ

笑う、おもしろがる

手を貸す、シカト、嫌がらせ

いっしょに暴力、カツアゲ

みんな仲間だ

もう逃げられないぜ

小さなウソから悪の道へ転がり落ちるように、

傍観といういじめの踏み絵は、じわじわとお子さんを蝕んでいきます。

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加害者に周囲が従い、いじめを放置するうちに、

雪だるま式に傍観者は増え、

やがて教室は無法地帯に。

誰かのいじめを見逃すことは、

いじめをしてもいい(非を問われない)場を作ってしまうのです。

ひっくり返せば、

いじめがないクラスを作ることが、

あなたのお子さんの安全も保つことになります。

もちろん、直接いじめっ子に向かっていくのは怖くても、

小さなできることは、どこかにあります。

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●いじめを放置すると……

「死ね」「ゴミ」

周囲が黙認

(しめしめ やり放題だ)エスカレート

●いじめが起きにくい場にしていく

「死ね」「ゴミ」

「やめろよ」注意する

「ヒドイな」批判する

「大丈夫?」相談にのる

(ちっ、やりにくいな)

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